決めつけない

自分の常識を “ 正 ” とするなら
正反対の情報は “ 違 ” と思う。
 
それが違えば違うほど
 
声をあげたくなるし
正そう思う。
 
正そうと思うってことは
他人を変えようとすること。
 
これって親がこどもにやりがちなこと。
夫婦の間でも。
何で自分は正しいと思うんだろう?
 
今朝、彼とこんな話をした。
「今まで同じだと思っていたのに
 ある時から急に
 価値観が変わってしまった
 とっても身近な相手と
 どう付き合っていくか?」
例えばとっても身近な人が
旦那さんや奥さんだったら。。
 
騙されてるんじゃないかと疑ったり
おかしくなったんじゃないかと
心配したり。
誰でも自分が正しいと思ってるから
変わってしまった何かを
変えようと(正そう)するけど
本当に “ 正しい ” が正解なのかと
最近ちょと疑問に思うようになって。
 
それぞれの
 “ 正しい ” があって
それを認めあえればいいんじゃないかなぁと。
 
そういう考えもあるよね♡くらいの
懐の大きさというか
そういう選択をすることを
ちゃんと見つめてあげたいというか。
認めてから
話が始まるのかなぁと。
 
誰かや何かを悪くいうのは簡単。
多分こうなんじゃない?な妄想で言えるし
人の悪口やうわさ話って
ちょっと前までは
興味をそそる内容だと思ってたけど
最近ちょっとしんどくなってきて。
なんかモヤモヤする。
正しいってなんだろうなって。
 
結局この話の私たち夫婦の結論は
「ま。夫婦は他人だもんね」で
終わったんだけど
この感覚でいられる彼はとっても好き。
軽薄な発言だと思うだろうけど
相手をちゃんと認められるからこそ
言えることなんだろうなって。
 
それに相手を変えようとするのって
とってもパワーがいること。
喧嘩中なんか特にね。
 
変えようとすればするほど
認められないなるループ。
 
私たち夫婦の喧嘩は
だいたい
「理解はするけど納得はしない」
それで終わることが多い。
正解を出さないって選択。
 
そういうのもいいんじゃないかな。

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川田麻衣子の頭の中

内容は好き勝手なことばかり。 読んでる人は「だからなに?」って感じだと思う。 でも、わたしにとってはそうじゃない。 複雑だけど単純な想いを なるべく分かりやすく書こうと思います。   そのままのわたし。   そのままのわたしは 本当に「だからなに?」っていう 無駄なことしか考えてない。笑   でも無駄かどうかは誰が決めるの?   無駄にしない人が 身になればいい。